『ストリートダンス』という名称を知ったきっかけ
おはようございます! 伊狩です。
前回に引き続き、今回もオーナー紹介と題しまして、私がストリートダンスに出会った小学生の頃のお話をしたいと思います。
この記事をお読みになれば、私がダンスフリーク(ダンス馬鹿)になる原体験を知る事ができます。 (世界中のどこかのだれかに、役にたつ内容であることを祈って・・・。笑)
どうぞ、最後までお付き合いください。
それでは、本編です!どうぞ!
▼ 夏の風物詩、「那覇大綱挽祭り」
私にとって、沖縄の祭りといえば毎年5月に行われる『那覇ハーリー』。そして10月に行われる『那覇大綱挽祭り』。(地元が那覇なので・・・。笑)
大綱挽き、懐かしいです。私が幼い頃は、『那覇祭り』と呼ばれておりまして、家族で参加するのが楽しみな行事でした。
国道58号線の久茂地周辺を封鎖し、「世界一のわら綱」とギネス認定される程の、ドでかい綱と、28万人の人達があつまり、ワイワイガヤガヤ。
綱をひっぱる事よりも、人と人に潰され、宙に浮いた経験の方が、私にとっては思い出深い。(笑)
ちなみに、まつりに参加する目的は、綱を挽くことではありません。
くじ引きを引くことでした。(笑)
▼ 小学4年生頃、とある車屋さんで。
たしか小学校4年生の頃のお話。
お祭りが終わり、午後6時ごろ。封鎖された58号線のど真ん中を歩き、母とおじ、そして妹と四人で、車を停めたパーキングに向かっていました。
すると、何やら、重低音と共に弾んだリズムが「ドンツカ、ドンツカ」聴こえてきました。そしてすぐに、その音が、道路沿いの車屋さんから聴こえてくることが分かりました。窓ガラスの向こう側では、展示された新車の横に群がった人達が、『何か』を観ながら、賑わっていました。私は居ても立ってもいられず、
「ちょっと、見てくる!」
と言い捨て、人だかりに向かって走り出しました。
(そして3人は、私を置き去りにして、たこ焼きを食べに行きましたとさ。笑)
▼ さまざまなチームによる、ダンスショー。
ダボダボの格好をしたお姉さん達によるHIPHOP、スーツを着たおじさん達のロボットの様なPOPPING、シマ柄のTシャツ&靴下がユニークなお兄さん&お姉さんによるLOCKING。各チームが、洋楽に合わせて踊ります。司会者の方は、私たち観客に拍手と声援を煽ります。当時は、ダンスのジャンル名も、ダンサー名も、音楽の名前も、まったく分かりません。でも分かったこと。それは、『かっこいい』という事!(笑)
▼ 司会者が、ダンサーだった。
すべてのチームの出番が終了しました。エンディングでは、出演ダンサー全員が輪をつくり、中心で一人ずつ即興ダンスを披露する『サイファー』が行われました。私は、すっかり見惚れておりました。そしてあっという間に、全員が踊り終えました。
「もう、おわりか〜」
一人がっかりしていた矢先、マイクを持っていた司会者が、突如マイクをダンサーにパスっ!そして、LOCKINGを踊り出しました!
「ぇええっ!司会者も踊れるのっ!!」
そのダンスを観て、脳天に雷が落ちた様な衝撃を受けた。
「か、、、かっこいい。」
しびれました。感電です。(BGM「たった〜、いーっしゅーんの〜・・・」by米津玄師)
踊り終わった司会者が、マイクを受け取って一言
「本日のストリートダンスショーは以上です。ありがとうございました!」
これが、私の『ストリートダンスとの出会いパート2』です。
そして、はじめて『ストリートダンス』という名称を知ったエピソードでもあります。
私は、遂に、言葉を手に入れました。
でも、当時はスマホはおろか、パソコンというものもほとんど普及していない時代。(たしか、OSはwindows97 ?) ネット検索という概念は、私の思考回路には存在しませんでした。
・・・
本日の記事は以上です!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!