私がダンススクールを知ったきっかけ
おはようございます!オーナーの伊狩です。
現在、謎めく自分のベールを脱ぐべく、自己紹介ブログを綴っております。今回は、小学生編のPART3でございます。どうぞ、最後までお楽しみください!
それでは、本編です。どうぞ!
その日、私はテレビを観てた。
確か小学6年生ごろの話。私は、家でテレビをぼーっと見ていました。土曜日の夕方6時にスタートする番組。OTVで放送されていた30分番組。2001年に『BOOM BOOM』の放送が終了した後の番組。・・・。名前をぜんぜん思い出せない。幸田悟さんが司会を務められていた事だけは覚えているんですが・・・。
その番組を見ていると、なにやら見覚えのある男性がゲストとして登場。
「ん?なんか見た事ある人だなぁ。」
そして思い出しました。小4の頃に見た、『車屋さんでのダンスショー』そこで司会者をしていた方でした。
スタジオ フィッツ。
興奮しました。めちゃくちゃカッコイイ司会者や!踊れる、司会者や!もはや、テレビをぼーっと見ている場合ではありません。わたしは、舐める様に、テレビを見ました。そして、その方が番組内で色々教えてくれました。
ブレイクダンス→BREAKIN’
ロックダンス→LOCKIN’
ポップダンス→POPPIN’
ヒップホップダンス→HIPHOP
そして、那覇市にある、ダンススクール『スタジオフィッツ』。
頼んで、頼み込んで、頼み倒して、
遂に見つけた!ダンススクール。司会者の方が言った言葉を漏らさない様に、テロップに書かれている電話番号を忘れない様に、私は、新聞に挟まれたチラシの裏に、必死で書き殴りました。この時間が、続けばいいのに。もっと、もっと、ストリートダンスについて教えてくれたらいいのに。しかし、司会者の方が登場した時間は、わずか5分程度でした。おわった後の寂しさが、心にぽっかり穴の空いた、そんな気分でした。
って、悲観している場合じゃない!
頼まなきゃ。母さんに、ダンススクール通わせてくれよと、頼まなきゃ。母が帰宅するのは、19時ごろ。
それまで、私は、なんと説得しようか、文章を考えました。10行程度、考えました。そして、母の帰宅。
「母さん、ダンススクール、いきたい!」
わずか、1行。返事は、
「なに? いきなり。」
それから、体感的に、1週間に3日程度の割合で、お願いをしたと思います。しかし母は、なかなか首を縦には降ってくれず、そして気がつけば小学校を卒業しておりました。
本日の記事は以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。